November 2010

2010年
11月3日
(祝・水)

文化の日
【九州国立博物館〜誕生!中国文明】
九州国立博物館5周年記念企画
「誕生!中国文明」
 今日は全国的な秋晴れ。 福岡も雲一つ無い快晴で、今日は朝から久し振りに太宰府天満宮の隣にある九州国立博物館に行ってきました。

 8月の「馬〜アジアを駆けた二千年」を見に行って以来の九州国立博物館でしたが、今日は天気が良く、大安で日柄がいい良いこともあり、 太宰府天満宮の境内は753、いや七五三詣りの家族連れで大賑わい! 本殿の脇には、某レストランではありませんが、かなりの順番待ちの「行列」ができていました。

 今回の「誕生!中国文明」の展示物の多くは、洛陽博物館や鄭州博物館、永城市博物館など、中国・河南省の文化施設所蔵のもので、 日本の国宝に相当する国家一級文物に指定されている展示品も多数ありました。

 また、今日は九州国立博物館の開館以来の入場者が800万人に到達したそうで、800万人目の方には記念品が贈呈されるセレモニーが行われていましたよ。  果たして今日は、文化的な一日が過ごせたかなぁ?


2010年
11月6日
(土)
【博多のライトアップウォーク2010】
 博多の街ではこの時期、夕刻の日没の時間から寺社群をライトアップするイベントが開催されています。

 11月3日(祝・水)〜7日(日)に、博多駅から少し北側の一帯にある櫛田神社、承天寺(勅賜承天禅寺を含む)、東長寺、妙楽寺をライトアップし、昼間では味わえない空間を楽しむ 「御供所・冷泉ライトアップウォーク2010」が開催されています。 この情報を察知した(?)編集部は、先日取材に行ってみました。

東長寺本堂

 いつもは博多駅前から海側に伸びる大博通から、ちょっとだけ窺える東長寺。 博多祇園山笠では東長寺前の清道旗を追い山がを周り、台上りが東長寺のご住職に敬意を表します。  ライトアップされた本堂は雄大さを感じさせます。

(左)承天寺境内の美しい洗濤庭 (右)妙楽寺の園路から山門を潜った開山堂

 博多祇園山笠の祖と言われる聖一国師が招かれた承天寺の洗濤庭。 ライトアップされた庭園は、昼間とは違った美しさを醸し出しています。

 1853(嘉永6)年の造作といわれる妙楽寺の開山堂。 夜の照明に浮かぶ和風建築の姿は、心洗われます。

(上・下左)勅賜承天禅寺外にある博多祇園山笠(山のぼせ)のオブジェ
(下右)今年の7月に博多の街を走った東流の舁き山(勅賜承天禅寺境内に展示)

櫛田神社境内の「博多べい」を撮影する女性

 山笠とは切っても切れない博多の街。 勅賜承天禅寺の塀の外には「山のぼせ(山笠狂い!)」をモチーフにしたオブジェが並び、山笠があるけん博多たい!の決まり文句も。

 勅賜承天禅寺の境内には、今年の 7月15日の追い山 で七番山笠として博多の街を走った東流の舁き山(標題:「威風震十方:いふうじっぽうにふるう」が座っていました。

 最後は博多の総鎮守・櫛田神社の境内にある「博多べい」。 戦国時代の戦乱で焼けた瓦や石を埋め込んだ造りの塀が「博多べい」です。 櫛田神社の境内のものは今回初めて見ましたが、 照明に浮かぶ綺麗な影が白黒のコントラストを際立たせていました。


2010年
11月7日
(日)
【吊り橋の下の渡し〜若戸渡船】
 九州北端、北九州市の若松区と戸畑区を結んで洞海湾にかかる赤い吊り橋、若戸大橋。 1962(昭和37)年に開通したこの橋は、その後の関門大橋や本州と四国を結ぶ瀬戸内海の各長大橋の草分けでもあります。

若戸大橋の下を渡す若戸渡船(戸畑渡場脇より若松方面を臨む)

 この赤い吊り橋の下の向こう岸とこっちの岸を結んでいるのが、北九州市営の若戸渡船です。 所要時間僅かに3分、運賃は今でこそ大人 \100 ですが、かつては \20 でした。 昔、●十年前の子供の頃に乗った時は、 確か \10 だったなぁ・・・。 その後、少なくとも 1996(平成8)年と 2005(平成17)年に値上げされ、現在の運賃になっているようです。

 洞海湾で分断されている若松と戸畑を結ぶこの渡船、歴史を遡ると明治の頃には当時の地主などが、それぞれに船を出して渡船経営をしていたようですが、現在のように自治体の運航になった礎は 1889(明治22)年に当時の若松村及び戸畑村により、
若戸渡船の若松側の乗り場・若松渡場

それぞれ運航するようになってのようです。 その後 1914(大正3)年に、当時の若松市と戸畑町との共同管理に、1919(大正8)年からは共同経営となり、1933(昭和11)年には、当時の若松市と戸畑市の市営(直営)になりました。

 若戸大橋が開通した時は、橋の車道が片側1車線で歩道もあり、歩いて渡ることができたので、この渡船も廃止の計画だったのですが、地元の根強い存続要望により残され、今に至っています。 その後若戸大橋は、 増え続ける交通量対策として 1987年に歩道を廃止して車道を片側2車線としたので、結果的には若戸渡船が残ったのは「正解」だったようです。

 若松市と戸畑市は、他の門司市、小倉市、八幡市とともに 1963(昭和38)年に合併して北九州市になったので、この若戸渡船は現在、北九州市産業経済局・渡船事業所が運航しています。

 更に蛇足ですが、若松と戸畑の間には、現在洞海湾の海底を潜る若戸トンネルが建設されており、今年の8月21日に貫通、2012(平成24)年度に開通の予定です。


2010年
11月13日
(土)
【5年振り〜この時期の黄砂飛来】
ドンヨリとした今日の風景
 昨日、今日と、福岡では黄砂の飛来に見舞われ、昼間もドンヨリとした中途半端な明るさの一日でした。

 一般に黄砂は春先に飛来することが多く、早ければ2月頃から5月頃まで観測されることが多いようです。

 編集部では、昨日、今日とも洗濯物を屋外に干すのはやめて、雨も降ってないのに屋内に干していました。 かつて、鹿児島に居た頃に、 桜島の活動が活発になり灰が降った時を思い出します。 思い過ごしかもしれませんが、大陸から飛んでくる黄砂に妙なモノが混じってないといいのですけど・・・。


2010年
11月14日
(日)
【福岡市長選挙投票日+秋の風景】
 今日は任期満了に伴う福岡市長選挙の投票日、編集部は昼前の暖かな時間に投票を済ませてきました。 市の財政の悪化など、現職の市長には風当たりが強い状勢です。
ドンヨリとした今日の風景
 現職候補に新人7人の総勢8人という、政令指定都市では異例の選挙戦で争っています。  開票は21時過ぎ頃から始まったようですが・・・・・、 早々に保守系推薦の元アナウンサーの新人が知名度を発揮して当選確実となりました。

 と、ここまでの文章は、何と4年前の この日 の記事をそのまま今日に置き換えた「手抜き」です(笑)。

 毎年この時期の日記は、色づいた秋の木々の写真が多く、似たような映像を並べています。 年の瀬の慌ただしさを前に、ちょっとネタ切れにある時期なんですかねぇ?  今日は暖かな福岡でしたが、明日からは冬に向けて気温が下がっていくようです。


2010年
11月18日
(木)
【福岡〜バンコク便 Daily 運航再開】
この秋のスケジュールから毎日運航になった福岡〜バンコク便

 些か旧聞に属する話題で恐縮ですが、福岡とバンコクを結んでいるタイ国際航空 (TG) が、この 10月31日の秋スケジュールから、それまでの週5便(月・火・木・土・日)から毎日運航に増便されました。

福岡空港発のバンコク便:TG649/JL5037 は 11:40 発

 福岡〜バンコク便のタイ国際航空は、かつて毎日運航していましたが、タイの政情不安や空港占拠などの影響により、2008年12月5日の冬スケジュールから週4便に減便、その後 2009年3月から1便増便 され、 週5便の運航となっていました。

エプロンを離れる A-330 (HS-TED)
 毎日運航であれば、いつでも TG の機体に会える! タイのバンコクから福岡に着くのは、朝の 08:00、そしてバンコクに向けて飛び立つのは 11:40。  ということは、この間に福岡空港に行けば、TG の機体を見ることができるわけです。 編集部では取材班を特別編成(謎)し、福岡空港へと向かいました。

 地下鉄が直接アクセスしている国内線ターミナルから、滑走路の向こうの国際線ターミナルを望むと、朝到着したばかりの TG の機体が翼を休めています。  離陸の 11:40 に間に合うよう、空港内のシャトルバスに乗って国際線ターミナルへと向かい、
バンコクへ向けて Take off
3階へ上がると、眼下の 55番エプロンで TG の機体がバンコクに向けて離陸準備をしています。 今日の機体はエアバス A-330 (HS-TED)。  タイ国際航空の機体は、他の一部の航空会社同様、それぞれに名前が付けられており、今日の機体は「DON CHEDI」号でした。

 この日は、ほぼ定刻どおりにエプロンを離れて、空港北端の滑走路の入口でも待つことなく南に機首を向け、16 方向の滑走路をバンコクに向けて飛び立っていきました。  Bon Voyage!


2010年
11月21日
(日)
【久〜し振りの京都行き】
 今日は1日イイ天気。 最高気温が 19.7℃まで上がり、風も無く暖かで小春日和の福岡でした。

京都駅ビルの合間から望む京都タワー

 先週末から、久し振りに京都に行く機会がありました。 以前行ったのはいつだったかなぁ・・・? 福岡からであれば、博多駅から新幹線で3時間弱の距離です。

 京都に着いてビックリしたことがあります。 駅のホームから、あの京都タワーが見えない! え〜、ウッソ〜!

 京都と言えば、京都タワーと、駅の南側に見える五重塔がある東寺。 この2つの建造物を車窓から眼にしてこそ「あぁ、京都やなぁ...」と実感するものでした。  そのうちの1つが車窓から見えなくなっている...。 チョット寂しかったですね。

(左)嵐山お決まりの「渡月橋」と紅葉 (右)渡月橋を渡った向こうにある嵐山公園

 少しばかり時間があったので、京都市の西の郊外の嵐山に行ってみました。 市内からは、四条大宮から嵐電で行きました。 この嵐電も京福電気鉄道の「ブランド」で、昔は無かったよなぁ・・・。

程良く色づいた嵐山公園の紅葉

 紅葉が見頃の嵐山、どこに行ったという訳ではないのですが、桂川を跨ぐお決まりの「渡月橋」を渡って、その辺を彷徨いて廻り、JR嵯峨嵐山の駅から京都市内に戻りました。

 さすが、観光地である京都。 時期も時期だけに、修学旅行の学生集団や海外からのお客さまなど、まるで東京のように大勢の人で賑わってましたねぇ。

 いろいろ見ましたが、少しばかり物価が高いような気もしました。 その分交通費は安い感じ・・・? 観光地ならではの特徴なのでしょう。 ある意味、仕方ないことですね。

(左)京野菜のカブ、聖護院 (右)聖護院を薄く切った千枚漬

 今回は、'96製トンピン娘が年明けに修学旅行で京都に行くというので、下調べの任務もあり、京都駅構内の観光案内所で、いろいろ「カタログ」を貰って来ました。

 次回は坂本龍馬縁の地など、少しばかり文化的なところも回ろうかな・・・。 ちょっとした小旅行でしたが、いい気分転換になりました。 明日から新しい1週間、頑張りましょう!


2010年
11月23日
(火・祝)

勤労感謝の日
【デジタル放送対応薄型テレビ到来に思う】
 現在放送されているアナログテレビ放送、来年(2011年)7月24日に終了します。 既にデジタルテレビ放送が始まっていますが、今までのアナログテレビとは放送方式が異なるので、 これを見るには、デジタル放送が受信できるテレビ(薄型テレビ)が必要なのです。

編集部でも遂に薄型テレビを導入
 総務省では、周波数(電波)の有効活用などを理由に、テレビ放送のデジタル化を進めてきました。 まぁ、時代の流れといえばそうですが、このテレビ放送のデジタル化に伴う費用負担には、いまだどうも納得がいきません。

 何でもそうですが、今までの制度や仕組みを変更する場合は、それなりの費用負担を伴います。 最近では、太陽光発電による電力会社の買取制度などが挙げられます。

 テレビのデジタル化にせよ、太陽光発電による電力会社の買取制度にせよ、それを実現するために必要な費用を誰かが負担する必要があるのですが、これらについては、国民に判りやすい議論が無いまま「なし崩し」的に事業者や国民に費用負担を強いられているように感じます。

 そうは言っても、時代の流れには逆らえないので、編集部でも遂にデジタルテレビ対応の薄型テレビを導入しました。 今度のテレビでは、この「おもしろタイリポート」も見ることができるので、アクセスがグッと UP することを密かに狙っているのですが・・・。

 今日は久〜〜し振りに、西安・洛陽旅行記 に、龍門石窟の奉先寺洞 のページを追加しました。 ご高覧下さい。


2010年
11月27日
(土)
【たまにはネタが無い平和な日記でも・・・】
トムとジェリーのブルさん?
 11月も残り3日になり、そろそろクリスマスカードや年賀状の準備を始める時期になりました。 来年の年賀ハガキは既に発売になっていますが、編集部ではまだ購入していません。

 家庭電化製品のエコポイント制度が12月から変更になるというので、この週末、各地の家電量販店や電気屋さんは大忙しと、テレビのニュースで報じています。

 編集部の周辺を散歩していると、結構歩くことが多い道沿いに、ブルさんが描いている標識(?)がありました。 「猛犬注意」の標識と思しきプラスティック板です。 このブルさんを見ていると、 (あんまり似てないのかもしれませんが)トムとジェリーに出てくるブルさん〜「スパイク」と呼ばれることが多かったようですが〜を思い出します。 まぁ、今日は大したネタが無いということです(笑)。


2010年
11月28日
(日)
【7年前の洛陽・龍門石窟への旅を思い出す】
中国河南省・龍門石窟のゴミ箱
 今朝は余り寒さを感じなかったのですが、昼間は気温が上がらず、この時期にしては冷え冷えとした1日でした。 何とか昼過ぎまでは持ち堪えましたが、夕方には我慢しきれず、遂にエアコンの暖房のスイッチが入りました。

 ここのところ、どこでどう血迷ったのか 2003年8月に旅行した中国の 西安・洛陽旅行記 を進めています。 もう7年経つんですねぇ。 ページでは公開していませんが、当時の家族の写真、特に子供達は「7年前」してますねぇ。(当たり前か!)

 ページの作成はもう終わりに近い龍門石窟、ここにあったゴミ箱は今日の写真のような「粋」なものでした。 中日辞典で「果皮」を調べてみると、『果実の皮』とあり、「果皮箱」は『ゴミ箱』ですが、路上など屋外に置いてある大きなモノを指すとのことです。

 今日は、龍門点描参考文献(2) のページを追加、これで洛陽・龍門石窟編は終わりです。 さて、次のページでは何を題材にしようかな?