November 2016

2016年
11月8日
(火)
【KIMONOプロジェクト@東京】
 今年も残り2か月を切りました。 10月は「喪に服していた」こともありますが、上京するなど外に出る機会が多かったので、日記の更新ができず、遂に1日しか書けませんでした。

 さて、10月の終わりに東京で素晴らしい着物を披露する催しが開かれたので、観に行ってきました。

世界53か国をイメージした最高のキモノ

 これらの着物は、福岡県久留米市の呉服屋「蝶屋」の社長をされている高倉慶応さんが進めている KIMONO PROJECT で制作されたものです。  この KIMONO PROJECT とは、世界はひとつという思いを日本からの平和のメッセージとして、2020年までに世界196か国をイメージした着物を、日本の最高の技術を結集して1国1着制作し、日本の文化を世界に発信しようというものです。  これまでに53か国の着物が完成し、このほど披露されました。

 各国をイメージしたデザインを、日本各地の選りすぐりの腕を持つ作家が作り上げ、1着1着の着物と帯に仕立て上げました。 目の当たりにすると、それは素晴らしいものです。

 しかしながら、「ゴール」までの道のりはまだ道半ば。 高倉さんは多くの支援を求めています。 この PROJECT の詳細は こちらの KIMONO PROJECT のページ をご覧戴き、皆さんのサポートをお願いします。(1)


2016年
11月19日
(土)
【あれから5年「雪っこ」ガンバレ!】  
宮城県・南三陸町の夜明け 岩手県・大船渡市の酔仙酒造・大船渡蔵

 先日、東北を訪れる機会がありました。 東日本大震災から5年経ちましたが、実際に現地を訪れると「まだまだ」のイメージです。

 宮城〜岩手南部の太平洋沿岸の町を巡りました。 全てが流されてた町では、至るところで盛り土の工事が行われています。 海岸では高く長い防波堤を築いているところもありました。
酔仙酒造の季節限定酒「雪っこ」

 岩手では、かつてから飲んだことがあった「雪っこ」という季節限定の日本酒を出している酒蔵の酔仙酒造を訪問し、少しばかりお話を聞くことができました。

 もともと、陸前高田市にあった酒蔵は津波で全て流され、復興するために、従前の酒蔵と地下水の質が近い大船渡の地に酒蔵を移して生産を再開。 出荷数は戻ってないが、漸く以前の品質に近づいたとのこと。

 また、瓶詰めの機械は、最新鋭のデジタル機器ではなく、中古の機械をわざわざ探して設置したそうです。  その理由は、岩手の大船渡は交通の便が悪く、最新鋭機を設置してもトラブルや故障時にメーカーの技術員が来るまでに時間がかかるので、その間生産が停止することを避けるためとのこと。  現在設置している瓶詰め機械は、従業員が全て熟知していて、いつでもメンテナンスできるそうで、2012年8月に酒蔵での生産を再開して以来、一度も生産を停止していないとのことでした。

 なるほど、このような「自主防衛策」もあるんですねぇ。 最新鋭が必ずしもベストではないという一例でしょう。

 報道だけからでは知り得ない、さまざまなことを教えて戴いた、有意義な東北巡りでした。 あっ、もちろん「雪っこ」は買ってきて、チビチビやってますよ。(2)  


2016年
11月27日
(日)
【こばやしとあん先生の作品を観る】  
篆刻の軌跡@東京国立博物館 代表作の一部

 11月は上京の機会が何度かあったので、12月23日(金・祝)まで、東京国立博物館・東洋館で開催中の「篆刻の軌跡」の展示を観てきました。
 

 作品を残されたのは、篆刻家の小林斗あん(「あん」の字は右のとおり)先生で、2009年7月の日記でリポートした松丸東魚先生(1901-1975) 同様、昭和の篆刻界を牽引した重要人物の一人です。  今回の展示は、生誕100周年を記念して開催されました。

 小林先生は、1916(大正5)年、埼玉県川越市の代々印章業を営む家に生まれました。 本名は庸浩(こうよう:最初の「正治」から改名)、10歳の頃には父親の勝治(号:香坡)から篆刻の手ほどきを受けて、小学校5年の授業で篆刻の技を披露し、この頃には「香童」と号したとのことです。
 
「篆刻の軌跡」の会場:東京国立博物館東洋館

 その後、比田井天来(1872-1939)の知遇を得ることになり、この時期に漢籍を学習。 川越中学卒業時に石井雙石(1873-1971)に入門し、更に当時の篆刻界の大御所であった河井筌蘆(1871生)に師事しましたが、1945(昭和20)年の東京大空襲により師の河井筌蘆を失いました。

 この時一緒だった西川寧(1902-1989)から隷書・漢籍・書画鑑識について学び、1949(昭和24)年頃からは東京大学文学部・中国哲学科教授の加藤常賢(1894-1978)の下で文字学を中心に勉強されています。  1953(昭和28)年には、古印学を学ぶため、盛岡の蒐集家で、中国古銅印の収集で名高い実業家の太田無庵(1881-1967)に師事するなど、常に勉強を続けられた先生でした。

 その後は広く篆刻界・書道界で活躍され、各界の展覧会に作品を発するとともに、数々の文献に研究成果を残されました。 1993(平成5)年に日本藝術院会員、1998(平成10)年には文化功労者として顕彰、そして2004(平成16)年には篆刻家として初めて文化勲章を受章されました。 2007(平成19)年8月に永眠、享年91歳。

 今回の展示では、代表作品に加え、生前集めていた各種文物(印譜:古印コレクション集や中国の歴代能書家の掛け軸など)や、著名人に刻した私印など数多くの作品が展示されており、見応え十分でした。

 師を持つことなく、独自に境地を切り開いた 松丸東魚先生 とは対照的な、小林先生の作品を目の当たりにする機会に恵まれ、心躍るひとときでした。(3)