China Report 2.3

秦始皇兵馬俑博物館
〜その3〜


秦始皇兵馬俑の3号坑を覆う「秦兵馬俑三号坑遺阯」

 3号坑は1号坑の北側西端に約25m離れ,2号坑からは西に120mほどのところに位置します。 以下の概要図の如く,東側から見ると「凹」字状に見えるこの坑の東端には, 東西方向の幅3.7m,南北方向の長さ11.2mの斜坡門道があり,その中央で馬4頭立て,兵俑4体の戦車が出土しました。 総面積は500平方m程度, 戦車の南北の両脇にはそれぞれ小部屋(*房:*は「がんだれ」に相)があり,小部屋の中には軍の幕僚や警備部隊と思しき武士俑が64体存在しています。
3 号 坑 平 面 概 要 図
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0 (B)
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廊下

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(A) => 北側の小部屋 .
0 .
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 兵

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. 側の小部屋 (C)
<= (D)
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 3号坑からは上記のほかに,儀礼用の銅殳(どうしゅ)が30本ほど,また祭祀や祝勝のために捧げられた動物の角や骨も出土しています。

 上の概要図の (A)〜(D) をクリックすると,その場所から撮影した写真に飛ぶことができます。



 
北の小部屋を西側から望む

 概要図 の (A) の位置から北側の小部屋を見る。 ここでは11体×2列の武士俑が発掘され,鹿の角や動物の骨も出土している。 当時,鹿は「純霊の物」という扱いを受けていたらしい。 当時は政治や軍事戦略などの策定手段のひとつとして祈祷が用いられていたことから,この小部屋は軍幕の祭祀や祈祷の場所であったと考えられている。


3号坑の北側から南方向望む

 概要図 の (B) の位置から南を向いて見える風景。 4頭の馬俑のあるところの手前と向こうが,3号坑東端の斜坡門道。 「斜坡門道」は中国語で緩やかなスロープがある表門の出入口がある通路のこと。 写真の奧では,南の小部屋を護る警備兵と思しき陶俑がある。


3号坑の中心的存在である戦車遺跡

 概要図 の (C) から戦車遺跡にレンズを向ける。 1号坑,2号坑の戦車は,馬4頭立てで,左翼,右翼の兵と中央の御者の3人乗り。 3号坑の戦車は,馬4頭立てというところは1号坑, 2号坑の戦車と同様だが,兵は御者とは別に左翼,右翼に加えて中央にも乗っており,4人乗りであるところが大きく異なる。



東側から望む南の小部屋

 概要図 の (D) の位置で南の小部屋を東側から望む。 南の小部屋は,手前の斜坡門道(前廊)から入って,奧のメインルームであるやや広い前室に続く細長い過廳と,前室の奧に幅が狭い后室がある。  このエリアは軍幕の中枢で,作戦会議などを開いていた場所と考えられている。


 古代の軍事指揮部(司令部)は,幕あるいは幕府などと呼ばれ,多くの古文書には「幕府には軍の作戦を占う祈祷の場所がある」との記載があります。 祈祷には牛や羊が生け贄として使われていたようで,この3号坑でも北の小部屋から動物の骨が出土したことから, この坑は秦始皇兵馬俑軍団の作戦を指揮する司令部的存在という説が有力です。

戦国時代の「七雄」の軍事力比較
(出典:戦略戦術兵器事典/中国編)
国名兵員[人]戦車[輌]騎馬[頭]
数十万不明不明
100万10001万
数十万6006000
数十万不明不明
60〜70万6005000
数十万10001万
100万余10001万
 坑の北の小部屋は祈祷の部屋,南の小部屋は作戦会議の部屋で,東側の斜坡門道には警備兵が並び,中央の戦車は部隊に作戦命令を出す指令用と考えれば,4人乗りである(1号坑,2号坑で見た3人乗りの戦車に伝令の兵が乗っている)ことも納得できそうです。

 秦が中国を統一する前の戦国時代,七雄と呼ばれた列強諸国が互いにその力を競い合っていました。 最も西に位置していた秦は,統一した始皇帝の死後も,東からの「敵」の侵攻に備えて強大な軍事力を誇示するべく,このような兵馬俑を作ったと考えられています。

 これまで紹介した1号坑,2号坑に較べると,3号坑は最も規模が小さく,陶俑や陶馬の埋蔵数も少ない坑でした。 この3号坑は1989年から一般公開されています。


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