Myanmar Report 2.4

シュウェダゴン・パゴダ
〜その3〜

間近に見るシュウェダゴン・パゴダの「本堂」 その美しく
大きな仏塔はミャンマーを代表するだけの威厳を備えている

 遠くから見る黄金のパゴダは流麗な姿ですが,境内で見る本堂は雄大です。 ところでこの「パゴダ:Pagoda」という言葉は英語で,手元の The American Heritage Dictionary of The English Language (Third Edition:1992) によると「東洋の宗教建築物で,特に祠堂として建てられた高層の仏塔」という解説があります。

境内南部でみつけた鐘
 そこで,この Pagoda の語源を辿ってみると,ポルトガル語の Pagode のようです。 ポルトガル語の Pagode には,ここで扱っている仏塔の意味の他に,酒を飲んで気ままに楽器を叩いて歌うサンバのような音楽のジャンルの一つを表す意味もあるようです。

 仏塔を意味するの Pagode の限流を溯ると,2つの語源を見つけることができました。 一つは現在イランの公用語であるペルシア語の Butkada というもので,but は「偶像」,kada は「住まい」や「家」などの意味があるようです。

 もう一つはインド南部で広く話されているタミル語の Pagavati を起源とするもので,この意味は「神に属する家」とのこと。 更にこの Pagavati は, サンスクリット語の Bhagavati(「聖なるもの」「女神」の意)に由来するようです。

 タミル語からペルシア語に伝わったルートが存在しないかと,いろいろ探してみましたが,編集部で探した限りでは見当たりませんでした。 ポルトガルまでのルートは違えど,言葉の意味に大差はありません。  恐らくかつての大航海時代に,当時の貿易を通じて複数のルートを通じてポルトガルに持ち込まれた言葉であり,持ち込まれた時期が微妙に異なるため2つの起源説があるのではないでしょうか?


(左)熱心に仏像に詣る姿はあちこちで見られる
(右)ミャンマーの仏像はタイや日本の仏像に較べると概して眼が「ギョロ」っとしている

 仏像の眼が強調されているのは,ミャンマー特有の事象だろうか? 日本は勿論,タイの仏像もハッキリ眼を見開いている仏像は殆どお目に掛からなかった。  インド方面の仏像にも,シカと眼を見開いているものはあまり見かけないようだが・・・。


境内南西部の土曜日の祭壇
 シュウェダゴン・パゴダ境内には,日曜日から土曜日までの8つ(水曜日は昼と夜)の守護仏があり,それぞれの仏が守護する方角に祀られている。  土曜日の仏像が守護するのは南東の方角であることから,土曜日の祭壇はパゴダの南西に位置する。
 各曜日の祭壇にはミャンマー語で曜日が書いてあるのだが,何が書いてあるのか判らないことが殆どだろう。 その時は自分の誕生日の仏が守護する方角を知っておけば,自分の曜日の守護仏に辿り着くことができる。
 それぞれの曜日の守護仏や守護する方角は,このサイトの「曜日と仏像」のページをご覧下さい。

(左)境内南西部,ラカイン・ホール(左)と寝釈迦仏が祀られている建物(右)
(右)西階段口に近い建物に祀られている寝釈迦仏


境内のミャンマーの人々
 ふぅ〜,境内を一回り,結構な距離がありました。 ヤンゴンの午後の日射しの下,石畳もそれなりの熱さだったので,汗をかきました。 境内に上がってきた西階段口近くの日陰に腰を下ろして一休み。

 周りを見ると,伝統的な民族衣装であるロンジー(男女とも身につける巻きスカート)を身につけた沢山のミャンマーの人々がお詣りに来ています。 ここシュウェダゴン・パゴダは,日本でいえば伊勢神宮のような感じで, ミャンマーの人々にとっては敬虔な聖地のようです。

 日陰に座っていると,心地よい微風が躰の回りを舞っていきます。 どこからともなく,ほんのりと香のかおりが。 日本を離れても不思議と落ち着く雰囲気,ずっとこのまま座っていたい・・・  やっぱり自分はアジア人なんだなぁ〜と実感したシュウェダゴン・パゴダの一日でした。


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