Report 21

100バーツ記念紙幣徹底分析
(2002年10月6日報告)
 2002年9月9日,タイでは紙幣流通100周年を記念して,100バーツ記念紙幣が発行されました。  この記念紙幣は全部で1500万枚印刷されたにもかかわらず,一般の商業銀行には120万枚程度しか出回っておらず,大半はタイ中央銀行(日本銀行に相当)の本支店でしか換金できないようです。  発行初日の9日は,タイ中央銀行本店に25,000人もの人が集まり,大混乱となったとのこと。 現国王(ラマ9世)の人気が絶大なタイでは,「9」という数字が重用されており, この記念紙幣の発行日(9月9日)も数字に拘わっていることがうかがえます。

 さて入手容易でないこの紙幣,9日当日には早くも「20枚 2400バーツ」で,列に並ぶ人々の前で堂々と売られ,更に数日後には信号待ちの車相手に1枚150バーツで売られるなど,さすがに「何でもあり」のタイ。  この紙幣には,チュラロンコーン王(ラマ5世)と,現プミポン国王(ラマ9世)の,歴代の国王の中でもタイ国民から絶賛される二大人気の肖像画が印刷されているとのことでしたが,過酷極まりない状況下,我が編集部(?!)では, 苦節27日目にして,やっとのことで某筋よりこの記念紙幣の入手に成功しました。 ここでは,他のどこよりも早く(筆者が知らないだけかも!)この記念紙幣を徹底的に分析します。 (〜あぁ,何と大袈裟!)

紙幣発行100周年を記念して2002年9月9日に発行された100バーツ記念紙幣

 ジャ〜ン! これが,噂の「紙幣発行100周年記念100バーツ紙幣(筆者が勝手に命名)」です。 片面は噂どおり,チュラロンコーン王(ラマ5世:奥の髭を携えたお方)と,現プミポン国王(ラマ9世:手前の眼鏡をかけられたお方)の肖像が, そしてもう片面には,どうやら最初に発行された100バーツ紙幣の「復刻」が印刷されているようです。(タイ語が読めないので,推測です。)

 大きさは縦105mm×横165mmと,流通している100バーツ札(縦72mm×横150mm)よりかなり大きめ。 二大国王の肖像などから推測すると,市中に流通させるというよりは, お守りみたいに飾る(インテリア効果?)を重視しているのではないかと分析します。

 それでは,各面を詳細に(どこが?)分析してみましょう。

 
二大人気の国王の肖像が並ぶ

 まず二大国王の肖像面です。 全般にかなりシンプルなデザインですね。

 (1)は,上段に "rat-tha-baan(政府)-thai(タイ)" とタイ語で書かれてあります。 日本の紙幣の「日本銀行券」のようなものです。 下段には "roi-baht (百バーツ)" のタイ語表記,これは「壱万円」と一緒ですね。  また,(2)は政府関係者(大蔵大臣や銀行総裁?)のサインのようで,日本の(例えば福沢さんの壱万円)紙幣では「総裁之印」「発券局長」の丸印に相当するものでしょう。 この2つを,流通している紙幣と較べてみると・・・

 
現在流通している100バーツ紙幣(左)と1000バーツ紙幣の表記とサイン

 ちょっと字体が異なるので,判りづらいかもしれませんが,赤枠で囲んだ左から5文字が "rat-tha-baan(政府)"緑枠で囲んだ右から3文字が "thai(タイ)" と表記してある部分は記念紙幣と同じです。 その下の段の大きな字は左の100バーツ札では,"nung-rooi-baht (壱百バーツ)" と表記してあり,記念紙幣と同様です。 (ちなみに右の1000バーツ札は, "nung-pang-baht (壱千バーツ)" と表記) また,紙幣によってサインが異なる(恐らく発行年によりサイン者が異なるのだろうと推測する)のですが, 上のとおり,記念紙幣の(2)と同じ二名がサインしている流通紙幣がありました。
 
100年前の100バーツ紙幣の復刻(?)

 さて,復刻面(?)は上のとおりです。 「復刻」と推測した根拠は,左上に "1st April 1902" とあること,(a)に "rat-tha-baan(政府=国王肖像面(1)上段の左5文字に同じ)-siam(シャム)" のタイ語表記があることです。 タイの歴史を紐解くと, 最初の紙幣が発行された1902年は「シャム王国」であり,辻褄が合います。 (「タイ王国」となったのは1939年)

 額面表記は,左縦書きの「壹-イ百-金末(中国語)」,中程左側英語表記の "ONE HUNDRED TICALS",中程右側タイ語表記(b)の "roi-baht(百バーツ,国王肖像面の(1)下段と同じ)" が判ります。  右の縦表記もアラビア語(ペルシャ語? or インドのウルドゥ語?)で「ひゃくバーツ」と書いてあるものと推測します。 これらのことから,1902年当時は, 地元タイ人はもとより,中国人(華僑)や西洋列強,そしてアラビア(〜インド系のペルシャ湾地域)の人たちが,当時のシャムの経済を回していたこと,そして通貨単位の英語表記は "Baht" でなく "Ticals" であったことなどをうかがい知ることができます。

 欄外の一番下には,"100 baht","2445(=仏暦の2445年=西暦1902年)" などのタイ語表記があることから,この面が仏暦2445年に発行された最初の100バーツ紙幣の復刻であることを説明する文章ではないかと推測します。 (タイ語が読める方,助けてぇ〜)

 そして最後に,この記念紙幣の恐るべき事情(ヲイヲイ,ホントかよぉ!)を推測しました! 国王肖像面に,チュラロンコーン王(ラマ5世)と,現プミポン国王(ラマ9世)の,歴代の国王の中でもタイ国民から絶賛される二大人気の肖像画が印刷された理由は, 恐らく(筆者の独断と偏見!),国民からの絶大な支持があることも勿論ですが,この紙幣が発行されるきっかけとなった,タイ初の発行紙幣の時代:1902年当時の国王がチュラロンコーン王(ラマ5世)その方だったからではないかということであります。  (そんなことは「恐るべき事情」でなく,容易に推測できますなぁ!)

 運良く入手できた方は,改めてシゲシゲと眺め,タイの歴史に浸って下さい。 残念ながら入手できなかったあなたは,このページを読まれて「ふぅ〜ん」と唸ることでしょう。 つまらない「分析」に長々とおつきあい戴き,ありがとうございました。