China Report 4.8

河南省・龍門石窟
〜賓陽北洞・賓陽南洞〜
【賓陽北洞】

賓陽北洞の主尊の阿弥陀仏
(「ピース」をしているよう見えるのは気のせい?)

賓陽北洞の案内表示
 北魏の7代皇帝・宣武帝が、父・光武帝の皇后、高氏のために賓陽中洞と同時期に造営を始めた賓陽北洞。 説明表示には、

 北魏の時代(500〜523年頃)に造営開始したものの、唐の高宗の時代(650〜683年)に完成。 主尊は阿弥陀仏で、背景には複雑な動きを表現する火紋が表現されている。  洞口南側の龍頭の形の柱の基礎は、北魏時代を代表する作といわれる。

 と記されています。 この洞は、賓陽中洞に遅れること100年以上も経った唐の時代に、漸く完成したというわけなんですねぇ。 どうやらこの洞は、費用がかかりすぎて困った挙げ句、 計画を縮小した505年頃に工事が中断されている模様です。


賓陽南洞の案内表示
【賓陽南洞】
 賓陽北洞と同様、賓陽南洞も唐の時代まで完成しませんでした。 この洞の説明は次のように書かれています。

 北魏の時代に造営開始、洞内正面には5体の主像があり、唐時代の貞観15(641)年に完成。 (唐の2代皇帝、太宗・李世民の四男である)魏王・李泰が、母の長孫皇后の冥福を祈るために造営した。  主仏はふっくらとした顔で、流暢な袈裟の柄の阿弥陀仏。

  ここは本来、北魏の7代皇帝・宣武帝のための洞で、概ね500〜512年頃から工事が始まっているようです。 しかし、ここも北魏の時代の方針転換による鞏義石窟寺の第1窟造営工事への傾注により、 工事は中断され、唐の時代になって当時の魏王・李泰 (618〜652)が、母の長孫皇后 (601〜636) の冥福を祈るためという理由で賓陽南洞を修復し、完成させたということのようです。


(左)賓陽南洞正面の主尊・阿弥陀仏 (右)賓陽南洞南壁の仏像群


 次のページでは、賓陽三洞にまつわる、あの有名な能筆家の手による摩崖碑について探索してみましょう。


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