と記されています。 この洞は、賓陽中洞に遅れること100年以上も経った唐の時代に、漸く完成したというわけなんですねぇ。 どうやらこの洞は、費用がかかりすぎて困った挙げ句、
計画を縮小した505年頃に工事が中断されている模様です。
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【賓陽南洞】
賓陽北洞と同様、賓陽南洞も唐の時代まで完成しませんでした。 この洞の説明は次のように書かれています。
北魏の時代に造営開始、洞内正面には5体の主像があり、唐時代の貞観15(641)年に完成。 (唐の2代皇帝、太宗・李世民の四男である)魏王・李泰が、母の長孫皇后の冥福を祈るために造営した。
主仏はふっくらとした顔で、流暢な袈裟の柄の阿弥陀仏。
ここは本来、北魏の7代皇帝・宣武帝のための洞で、概ね500〜512年頃から工事が始まっているようです。 しかし、ここも北魏の時代の方針転換による鞏義石窟寺の第1窟造営工事への傾注により、
工事は中断され、唐の時代になって当時の魏王・李泰 (618〜652)が、母の長孫皇后 (601〜636) の冥福を祈るためという理由で賓陽南洞を修復し、完成させたということのようです。
(左)賓陽南洞正面の主尊・阿弥陀仏 (右)賓陽南洞南壁の仏像群 |
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次のページでは、賓陽三洞にまつわる、あの有名な能筆家の手による摩崖碑について探索してみましょう。
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