賓陽中洞は、高さ約9.3m、幅が11m程度、そして奥行きは9.8mほどの規模の洞。 北魏の7代皇帝であった世宗・宣武帝(位:499〜515)が、父である6代皇帝の高祖・孝文帝(位:499〜515)の功績を称えるために造営したもので、
主尊の釈迦牟尼仏(釈迦如来座像)は、高さ8.4mにものぼる大きなものです。
洞内左右の南北両壁には、それぞれ如来立像と二菩薩の三尊があります。 このうち、菩薩像二体の頭部は、現在、東京国立博物館と大阪市立美術館に所蔵されています。 この賓陽中洞の仏像は、龍門石窟の他の洞に見られる繊細で幽玄な雰囲気と違って、
概して明確な目鼻立ちで顔の幅が少し広く、活気があり明るい表情です。 これは賓陽中洞の仏像が、それ以前に造営を進めていた雲岡石窟の後半時期の彫刻手法を受け継いだものではないかと推測されるものです。
案内表示にある皇帝及び皇后が仏に礼拝する壁画は、前壁から既に剥ぎ取られており、「皇帝礼仏図」はアメリカ・ニューヨーク州・ニューヨーク市のメトロポリタン美術館に、
「皇后礼仏図」は、同じアメリカのミズーリ州・カンザスシティ(註)にある Nelson-Atkins Museum of Art の所蔵となっているとのこと。
【註】
カンザスシティは、ミシシッピ川を挟んで東側のミズーリ州と、西側のカンザス州の州境にある都市だが、「皇后礼仏図」が保存されている Nelson-Atkins Museum of Art は、東のミズーリ州側のカンザスシティにある。
(左)洞内南壁の如来立像・菩薩群 (右)賓陽中洞・窟外北(外から見て右)側の力士像 |
賓陽中洞の外観 多くの観光客で賑わっている |
賓陽中洞を外から眺めると、洞の左右に力士像が刻まれています。 単なる疑問ですが、この力士像も賓陽中洞が造営された北魏の時代に刻まれたのでしょうか?
この龍門石窟では、唐の時代に造営された奉先寺洞の力士像の方がメジャーなので、何となく(特に根拠も無く)、後刻、唐の時代に刻まれたのかなぁ・・・と思った次第。
(あちこち調べてみましたが、奉先寺洞の力士像に紛れて、よくわかりませんでした。)
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それでは、賓陽北洞、賓陽南洞や周辺の様子も調べてみるべく、次のページに進みましょうか。
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