Report 47a | |||||
国境特集 (1) スリーパゴダ・パス | |||||
この記事は,編集部がここを取材した 2003年2月 時点でのことを基に書いていますので,現在でも同じ状況とは限りません。 スリーパゴダ・パスの国境通過にあたっては,
外国人の国境越えが可能か否か,どこでどのような書類や手続きが必要かなどは,必ず自己責任で調査して下さい。
サンカブリーとは,ソン(=銀)カリア(=塊)というモン語に由来するとのこと。 モン語とは,ミャンマーからタイの国境地域に広く住んでいるモン族の言葉です。 元々のサンカブリーの町は, カオレム・ダムの完成と共に大半が湖底に沈んでしまったので,現在の町は移転してできたもの。 ダムができる前はクウェ・ノーイ川が流れており,その川で銀が採れたと伝えられていることが,地名の由来となっているようです。 2003年2月時点では,外国人がスリーパゴダ・パスの国境を越えることはできましたが,これは公式にミャンマーに入国することではなく「ちょいとミャンマーの地の体験ツアー」を大目に見て貰っているという感じです。 実際には,事前にサンクラブリーにあるイミグレーション・オフィスに出頭しての手続きが必要でした。 この時必要だったものは, (1)パスポート原本, (2)パスポートの写真面とタイへの最終入国スタンプが押されたページのコピー, (3)パスポートサイズの写真2枚, (4)US$10(タイバーツは使えない)で,規定の書類に必要事項を記入し,これらのものと引き替えに「ミャンマー入境許可証兼パスポート預かり証」を貰ったのです。 | |||||
さて,スリーパゴダ・パスの国境に足を向けましょう。 サンクラブリーの町からは車で 30〜40分,上の写真のとおり立派な道路が通じています。 この道路の左側のチョイと先は,タイとミャンマーの国境なのですが,
緊張感など全くありません。
駅前広場のようなところで道路が途切れています。 広場の真ん中には,このページの最初の写真の3つの仏塔があります。 これがスリーパゴダ,3つの仏塔で,タイ語では「プラー・チェディ・サムオン」,ミャンマーの言葉では
「パヤトンズー」といいます。 かつての泰緬鉄道の地図の上には「三塔峠」と記されています。
どうやらここが国境の模様。 でも兵士も居ないし,緊張感もない。 周りに何にも無いので,観光客も殆ど居ません。 さぁ,いよいよ国境越え。 ここの事務所に,さきほどサンカブリーのイミグレーション・オフィスで貰ってきた書類を見せると,
この先の市場までという制限付きで国境を越えていいとのお許しが出て,書類と引き替えにボーダーパスを渡されます。 何の緊張感も無く,陸の国境を越えてミャンマー側に入りました。
タイは車が左側通行ですが,ミャンマーでは車は右側通行なので,国境を越えると突然「鏡の世界」です。 蛇足ですが,イギリス植民地だった殆どの国では車は左側通行なのに,
ミャンマーは右側通行,何故でしょうか? どなたかご存知の方,ご教示下さい。
閑話休題,数百m歩くと寂しげな市場がありました。 我々がミャンマーの地を体験できるのはここまでなので,ブラッと回ってみました。
まぁ「コレ!」というモノも無く,何故かギターを並べた店があったり・・・ 誰が買うんでしょうかねぇ?
歩き疲れたので「喫茶店」に入ってアイス・カフェーで一服。 まぁ,この辺の国々はどこも似たようなモノですが,甘かったですね。
この時の土産は,2003年1月 に入手し損ねた マンダレー・ビール。 いくらだったかなぁ?
バンコクの市場同様適当に値切って免税も関税も無く(笑),後刻しっかり「卒論」のネタになりました。
タイの地に戻ってきたら,国境を越える時に貰ったボーダーパスと提出した書類を引き替えます。 この書類が無ければ,
サンカブリーのイミグレーション・オフィスに戻ってパスポートを返して貰えませんので,注意が必要です。 旅行でこの地まで行くとなるとチョット大変ですが,
タイ在住の方にとっては,思い出作りにはいいかもしれませんよ。 (2005年11月記) |