March 2003

2003年3月5日(水)
タイ国内で最西端にあるといわれるクメール遺跡
カンチャナブリにある「プラサート・ムアンシン」

 日本では一部の(多くの?)企業などで「年度末」にかかり,慌ただしい時期になりましたね。 こちらでは日に日に暑さが増している感じで,夜はまだ過ごしやすいのですが, 昼間は日向にでも居ようものなら,もう「暑〜い」感じです。

 私の職場は午後4時を過ぎると冷房が切れるのですが,その後はもう地獄。 暗くなって下手に窓を開けると虫が入ってくる(網戸が無い!)ので, 窓も開けられず,毎日蒸し風呂の中で仕事をしているようなもの。 まぁ毎日「サウナ」に入っているからか,このところ体調は良いようです。

 2月中旬から雨に遭う〜というか,局地的に降るのですが〜機会が多くなりました。 感覚的には,この時期にしては昨年よりも多い感じ。 地元の人に聞いても, 「普通じゃないなぁ」と言っています。 これも異常気象の1つの現れなのかもしれません。

 停滞していた「本家」のページで車のナンバープレートを分析してみました。 ご高覧あれ!


2003年3月16日(日)

ミャンマー国境のスリーパゴダパスに
「新築」されていた旧日本軍の慰霊を祀る祠
 先週から暫くの間,チョット落ち込んでました。 日本を離れて長くなると,ホームシックではありませんが,日本語〜自分が一番自由に操れ, かつ相手がそれを理解できる言葉〜で話す機会が飛躍的に限られるので,どうやらそれがストレスになっていたようです。

 今の私の環境は,仕事柄ほかの日本人と話す機会は殆ど無く, 日本語を話すのは職場の上司と家族のみ。 そうなれば話題も限られ,俗に言う馬鹿話の範囲も知れたモノとなるわけです。 周りのタイの人たちとも話をしますが,会話は英語中心になってしまい, 両者共に母国語ではないため,お互いに微妙な表現を理解することが難しく,また「言い振り」にも文化の壁が立ちはだかるため,実質的に本来の「自由な論議」が制限されてしまうわけです。  判りますか? この感覚。

 先週,ある方から面白い日本人の集会に誘って戴き,いろんな方々とお会いすることができました。 この「集会」,集まる面々は自称プロのカメラマンとか, バンコクで活躍しているコンピュータのネットワークエンジニア,タイ語を勉強に来てる学生など,様々。 中でも日本のマスコミのあちこちに登場したフリーのジャーナリストのおじさんは, 今,世界の注目の的になっているイラクにさてどうやって潜入しようかと,在タイイラク人を招いての「作戦会議」を開くなど,とても「フツ〜」の集会ではない。 お陰で, 今のこのご時世の一端を知ることができたし,思い切り「日本語」でいろんな人と話ができたので,鬱状態から脱却することができました。  やっぱ,仕事や家族を離れての「無駄話」も,人生には必要不可欠なのだなぁと,一人勝手に納得している今日この頃です。

 本家のページでは,日本語の難しさを自分なりに分析してみました。 ご高覧戴き,ご意見などを戴ければ幸甚です。


2003年3月24日(月)

一日が暮れようとするバンコク

 アメリカ・イギリスの軍隊が遂にイラクに攻め込みました。 3月16日の日記で紹介したフリーのジャーナリストのおじさんは, 19日にイラクに向けて旅立ちました。 今頃はどこにいるのでしょうか?

 しかしこの開戦のお陰で,日本企業の中には渡航禁止令が出たところもあり,出張や春休みの家族の帰省ができなくなった日本人も大勢います。 我が家も, 家族が19日の夜から帰国するべく準備をしていましたが,結局動かない方が得策と判断し,帰国を諦めました。

 今回の戦争はイラク対米英の色が強いのですが,背景には宗教や民族の争いがあり,2001年9月の同時多発テロに始まった不特定多数を対象にしたテロの再発の危険も孕んでいます。  ましてや,今回日本政府は諸手をあげてアメリカの行動を支持していますので,標的になってもおかしくないと考えたわけです。

 国境を接する国を舞台に戦争が起こると,一番悲惨な目に遭うのが国境付近の住民です。 昨日まで自由に国境を越えて買い物に行けたのに,いきなり軍隊が攻め込んできて,買い物にも行けなくなるのです。  1月下旬のカンボディアとタイとの緊張下でも,国境の人たちは一時不自由な生活を強いられました。 島国の日本では,簡単にはイメージできないことではないでしょうか。 また,宗教や民族の争いというのも,単一民族の我々には理解し難いものです。

 幸いに今のところ,日本でも,タイでもテロの対象になってはいませんが,日々の生活には少しばかり緊張感を持ちたいものです。 こちらでは米英関係の機関(大使館など)には近づかないように心がけています。 一刻も早く戦争が終結して欲しいと思いますが, その後は復興のために日本が経済支援をする〜あなたの税金が戦後復興に使われる〜ことを忘れないようにしましょう。 戦争を仕掛けたアメリカよりも,日本の方が資金を供出する構造ができあがっているのです。


2003年3月30日(日)

突然の訪問客の蝉くん

 こちらでは,短い冬が終わると一気に夏になり,4月中旬のソンクラン(タイの暦での正月)〜5月上旬の雨季入り前をピークに, 日中の気温がどんどん上がっていきます。 今は,まさに夏に向けて暑くなるばかりの毎日ですが,どうやら今年の気候は誰に聞いても「オカシイ」と言います。  もう『日中は暑くてたまらない』頃で雨なんてまず降らないのに,このところは殆ど毎日のように雨が降るのです。 昨日(3月29日(土))は,午後から3時間以上も雨が続きました。  一般にこちらの雨は「短時間豪雨型」なのですが,昨日の雨は日本の梅雨のようにシトシトと降っていました。 

 ところで,この夏の時期になるとバンコクでは蝉が登場します。 こちらの蝉は,どうやら昼間は大人しくしているようで,合唱を始めるのは日が暮れる頃からが多いようです。 ケチな我が家は, 夜は窓を開けて(=エアコンを使わない)いますので,夜は蝉くん達の合唱が結構ウルサイのです。

 その蝉くん,突如と我が家の網戸にやってきました。 人慣れしているのか,鈍いだけなのか,少々網戸を動かしても揺すっても,逃げる気配は無し,悠々と留まっています。  日本の蝉だったら,人の気配を察するとションベンチビって飛んでいくのになぁ。 子供達と暫く観察し,放置していたら,いつの間にか居なくなってました。 またやってくるかなぁ。