唐の歴代皇帝が眠る関中十八陵のうち,最も西に位置する乾陵には,唐の三代皇帝:高宗李治と,中国の歴史上唯一の女帝とされる則天武后(中国では「武則天」と呼ばれること多い)が眠っています。
乾陵に到着するまでの間,この高宗と則天武后の「予習」をしておきましょう。
李治は先代皇帝:太宗李世民の九男として生まれ,「ふつ〜」では皇帝になる可能性が低かったのですが,李治の長兄らの内紛や,母方の伯父である長孫無忌(鮮卑賀跋部)らの政治力により,649(貞観23:中国の年号,以下同様)年に21歳で皇帝となります。
【唐三代皇帝高宗 則天武后 データ】
− | 唐三代皇帝 高宗 | 則天武后 |
生 没 | 628 〜 683 (享年 55歳) | 623 〜 705 (享年 82歳) |
在 位 | 649 〜 683 (在位 35年) | 690 〜 705 (在位 15年) |
諡号 (しごう) | 帝号 | 天皇大聖弘孝皇帝 | 則天大聖皇帝 |
廟号 (びょうごう) | 高宗 | 則天大聖皇后 |
姓 | 李 | 武 |
諱 (いみな) | 治 | 照 |
父 | 二代皇帝 太宗李世民 (九男) | 武士#(ぶ しかく) #は「獲」のけものへんを 「尋」にした文字 |
母 | 長孫皇后 | 揚氏 |
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高宗の時代の功績は,
- 651(永徽2)年,長孫無忌らに命じて編纂した法令「永徽律」を公布。
- 653(永徽4)年,再び長孫無忌らに命じて「唐律疏議」を公布。 この「唐律疏議」は,現存する中国最古の法令解釈書で,完璧に近い刑事法典といわれている。
(「疏義」とは,律条文や注釈を明らかにする意で,現在の法令解釈集に相当。 「唐律疏議」では各律の沿革や条文の字句の意味が書かれており,条文の解釈が問答形式で解説されている。)
などが挙げられます。
ところで,この高宗は日本の歴史にも大きな影響を及ぼしています。 674(上元4)年,高宗は自らの称号を皇帝から「天皇」に変えました。 この情報が遣唐使を通じて当時の天武朝 (672-686) の日本に伝えられ,
689年に編纂された日本史上初の体系的な法典といわれる「飛鳥浄御原令」において「天皇」の称号が正式に採用されました。 これにより,時の天武天皇が日本の歴史上,最初に「天皇」の称号を捧げられたという説が有力です。
高宗を語る上で必ず登場するのが,中国史上唯一の女帝といわれる則天武后(武照)です。 彼女は14歳の時,二代皇帝太宗の時代に,才人(最下級の地位の妃)として一度後宮入りしますが,太宗に気に入られることはなく,太宗が崩じた後は現在の西安にある感業寺の尼僧となりました。
三代の高宗の時代になると,正室の王皇后と高宗が寵愛していた簫淑妃の関係が悪くなったため,高宗の気を簫淑妃から遠ざけるべく,王皇后は僧であった武照を還俗させ,高宗に薦める作戦に出ます。
実のところ,武照が太宗の女官だった頃に密かに思いを寄せていたといわれる高宗は,武照を即座に気に入り,簫淑妃からばかりか,王皇后からも遠ざかるようになりました。
高宗に気に入られた武照は,自らの野心を叶えるべく 655(永徽6)年,王皇后と簫淑妃を幽閉,惨殺し,高宗の皇后:武后となります。 高宗は頭痛に悩み,また眼を患っており,病気がちで気が弱かったことから,武后は高宗の影で摂政となり垂簾聴政を始めました。 高宗の時代の功績で,
- 657(顕慶2)年,中央アジア付近から北方に展開していた西突厥を平定。
- 668(総章元)年,新羅と共同で隋朝以来の宿敵であった高句麗を滅ぼし新羅を除く地域の朝鮮半島を制圧,安東郡護府を設置。
などは武后による垂簾の政によるものでしょう。 高宗は武后の専横を嫌い 663(竜朔3)年頃,皇后から廃そうとしたが失敗,その後は武后が唐の実権を掌握するのです。
683(弘道元)年に高宗が崩御すると,武后は我が子である李顕を一旦は中宗として皇位に立てますが,すぐに(54日後という説がある)これを廃し,その弟である李旦を睿宗として帝位に就かせます。 止まることを知らない野心を持つ武后を知る睿宗李旦は,
自らの立場が傀儡の皇帝であることを理解していたので,無事に過ごすことができたといわれています。
690(載初元)年,67歳になった武后は武周革命を起こして睿宗李旦を皇太子に落とし,満を持して自ら聖神皇帝と称して帝位に登り詰め,国号を「周」に改めます。
武后は 690〜705年の間,帝位を守り,83歳でこの世を去りましたが,彼女は今でもその一部が日本に伝わる「則天文字」を残しました。 彼女の権威を世間に知らしめるために帝位に就いた 690年から7年ほどをかけて定めた文字で「武周文字」とも呼ばれています。
文字数は 17 または 18 が有力ですが,現在までに伝わっていない文字もあることから,19字説や 110字説もあるようです。 今に伝わる則天文字は年,月,日,聖,君,人など,公式文書や記録に多用される文字が多く,「圀」だけが現在も日本で使われています。
また,この則天文字は,同じ文字でも形が異なる異体字が多いようです。 以下に則天文字の例を紹介します。
【 則 天 文 字 の 例 】
則天文字 (例) | 漢字 | 解 説 | 則天文字 (例) | 漢字 | 解 説 |
| 国 | 元々の「國」の中の「或」は 限定されたエリアを示す こと(「惑」に繋がるからと いう説もある)から広域を 示す「八方」を中に入れた。 日本には唯一「水戸光圀」 の文字に伝わっている。 | | 照 | 明+空=照の作字。 武照の名にあるこの文字は 「天空で明らかにする」意 なのか,「天空にかかる 日月の光を合わせる」意か? この文字は則天武后のみ が使用できたもの。 |
| 天 | 唐の時代には旧字体に当 たる隷書体に基づく文字。 「君」や「初」にも見られる 「一+人」が使われている。 | | 年 | この時代の旧字体である 篆書の「季」を基に,千千 万万を織り込んだ文字。 |
| 日 | 太陽には烏(鳥)が住んで いるという伝説(金烏玉兎) から日輪の中に烏が居る 様子を文字化したもの。 中の「乙」は鳥(烏)の形を 表している。 | | 月 | 左を向いた三日月(匚)が 出てくる意。 |
| 人 | 一+生=一生で「人」を 表す作字。 | | 臣 | 一+忠で「臣」を表す作字。 |
| 正 | 旧字体の篆書または 隷書に基づく文字。 | | 聖 | 長+正+主で「聖」を表す 作字。 |
| 君 | 天(=一+人)+大+吉で 「君」を表す作字。 | | 證 | 永+主+久+王で「證」を 表す作字。 |
| 授 | 禾+久+風(天?)で「授」を 表す作字。 旁に風を含む文字は後期 のものといわれている。 | | 載 | 土+人+車で「載」を表す 作字。 当時の車は土木建築用途 が主だったのだろうか? |
| 地 | 山+水+土で「地」を表す 作字。 山から流れ出す水が土に 吸収されるサイクルが「地」 を示す。 | | 初 | 元々は天+明+人+土 だったようであるが,後に は天(=一+人)+貝貝+ のような作字も用いられた。 |
| 星 | 則天文字で最もシンプル 星の象形文字といわれる。 | | | |