唐の歴代皇帝陵のうちの関中十八陵の概念図 |
西安を中心に広がる関中平原には,これまでに紹介した前漢の時代の歴代皇帝の陵墓(渭北九陵)がありましたが,これ以外では唐代の歴代皇帝の陵が関中十八陵として知られています。
関中十八陵は,上の図(あくまでも概念図ですが)のように,平原の北部に拡がる山麓に沿って点在しています。 これは,唐の歴代皇帝の「天子は千古を見下ろし,諸方に睨みをきかす」気概を示したもので,
全ての陵墓が前漢の渭北九陵よりも北の海抜の高いところに位置していることからもわかります。
618年から 300年近く栄え,日本の歴史にも大きな影響を及ぼした唐の時代には,公式には20人の皇帝が居たとされていますが,則天武后や李裕など歴史に名を残した治世者もありました。
それでは唐の時代の歴代皇帝と,彼らの陵墓などを以下にご紹介しましょう。
唐の歴代皇帝とその陵
皇 帝 在位期間 | 代 | 名 | 陵名 | 関中 十八陵 | 備 考 (諡号など) |
618〜626 | 1 | 高祖 | 李淵 | 献陵 | ○ | 唐の時代の初代皇帝,神堯大聖大光孝皇帝 |
626〜649 | 2 | 太宗 | 李世民 | 昭陵 | ○ | 高祖李淵の次男,文武大聖大広孝皇帝 |
649〜683 | 3 | 高宗 | 李治 | 乾陵 | ○ | 太宗李世民の九男,天皇大聖大弘孝皇帝 |
683〜684 705〜710 | 4 | 中宗 | 李顕 | 定陵 | ○ | 高宗李治の七男,大和大聖大昭孝皇帝
684年2月韋玄貞を侍中にしようとして武則天
(則天武后)の怒りを買い廃されて廬陵王と
なったが,武則天の病が重くなると復位して
国号を唐に戻した |
684〜690 710〜712 | 5 | 睿宗 | 李旦 | 橋陵 | ○ | 高宗李治の八男で母は武則天,玄真大聖
大興孝皇帝, 690年,武則天が則天武后と
なり国号を周と改めると皇嗣に降格,710年
中宗崩御の後に復位した |
690〜705 | − | 則天武后 | 武照 | 乾陵 | ○ | 高宗の武周皇后であったが高宗の死後,
中宗李顕,睿宗李旦を立てたが廃し,690年
自ら聖神皇帝となり,国号を周とした,中国
唯一の女帝, 則天大聖皇帝 |
712〜756 | 6 | 玄宗 | 李隆基 | 泰陵 | ○ | 睿宗李旦の三男,至道大聖大明孝皇帝 |
756〜762 | 7 | 粛宗 | 李亨 | 建陵 | ○ | 玄宗李隆基の三男,文明武徳大聖大宣孝皇帝 |
762〜779 | 8 | 代宗 | 李豫 | 元陵 | ○ | 粛宗李亨の長男,睿文孝武皇帝 |
779〜805 | 9 | 徳宗 | 李※ | 崇陵 | ○ | 代宗李豫の長男,神武聖文皇帝 ※は「舌」に「しんにゅう」 |
805 | 10 | 順宗 | 李誦 | 豊陵 | ○ | 徳宗李※の長男,至徳弘道大聖大安孝皇帝 |
805〜820 | 11 | 憲宗 | 李純 | 景陵 | ○ | 順宗李誦の長男,昭文章武大聖至神孝皇帝 |
820〜824 | 12 | 穆宗 | 李恒 | 光陵 | ○ | 憲宗李純の三男,睿聖文恵孝皇帝 |
824〜826 | 13 | 敬宗 | 李湛 | 荘陵 | ○ | 穆宗李恒の長男,睿武昭愍孝皇帝 |
816〜840 | 14 | 文宗 | 李昂 | 章陵 | ○ | 穆宗李恒の次男,元聖昭献孝皇帝 |
840〜846 | 15 | 武宗 | 李炎 | 端陵 | ○ | 穆宗李恒の五男,至道昭粛孝皇帝 |
846〜859 | 16 | 宣宗 | 李忱 | 貞陵 | ○ | 憲宗李純の十三男,元聖至明成武献文睿 智章仁神聡懿道大孝皇帝 |
859〜873 | 17 | 懿宗 | 李$ | 簡陵 | ○ | 宣宗李忱の長男,昭聖恭恵孝皇帝 $は「催」の偏の「イ」が「シ」になった字 |
873〜888 | 18 | 僖宗 | 李% | 靖陵 | ○ | 懿宗李$の五男,恵聖恭定孝皇帝 %は「環」の偏の「王」が「イ」になった字 |
888〜900 901〜904 | 19 | 昭宗 | 李曄 | 和陵 | | 懿宗李?%の七男,聖穆景文孝皇帝 |
900〜901 | − | − | 李裕 | − | | 哀帝(昭宣帝)の長兄で900年11月に新皇帝に 即位するも901年1月退位を迫られ徳王に降格 |
904〜907 | 20 | 哀帝 (昭宣帝) | 李祝 | 温陵 | | 昭宗李曄の九男,昭宣光烈孝皇帝 後唐の明宗により昭宣帝と追諡された |
唐の初代高祖李淵の献陵は,平地に土を積んで陵とする秦漢時代の造営法に倣って築かれましたが,2代皇帝の太宗李世民は自然の山の地形を拓いて昭陵を造営しました。 これが契機となり,その後の唐の歴代皇帝の陵墓の多くは山を利用して陵と一体にする特長を有しています。
献陵のほかに,13代敬宗李湛の荘陵,15代武宗李炎の端陵,そして18代僖宗李%(%は「環」の偏の「王」が「イ」になった字)の靖陵は,秦漢時代の造営法による古典的な陵ですが,残りの14の陵墓は「山に拠り添い陵を成す」形態です。
十八陵の中でも最西端に位置し,中国の歴史上唯一の女帝,則天武后も眠っている3代高宗李治の乾陵に足を向けてみましょう。
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