Myanmar Report 2.5
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ミャンマー点描 |
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緑が多いヤンゴンの日暮れ |
ミャンマーもタイ同様,大陸の国。 カンボディアの プノン・バケン や タイの地平線 に沈む夕陽は日本と違う雰囲気で,
壮大な自然を実感します。 |
ヤンゴン市内のファスト・フード・ショップ |
ヤンゴンの街中をぶらつくと,いろいろな発見がありました。 2003年1月現在,ミャンマーには外資系の清涼飲料水やファスト・フードは入ってませんでしたから,似たようなアヤシイものはあっても,
そのものズバリはありません。 バンコクで見慣れた風景と似てるようで少し違う。 例えるなら,日本を抜け出した外国で似たような風景に出会った時に「少し違う」と感じて,パチンコ屋が無いのに気が付く雰囲気でしょうか?
それにしても,アジアではこの”TOKYO”というのは一種のブランドらしく,どこの街に行っても”TOKYO”が付く店やオフィスが必ず一つや二つあるものです。 まぁ,
日本で言う「サロン・なんとか・パリ」や「かんとか・ニューヨーク」のようなものでしょうか。
それでは,ヤンゴンの街で出会った風景から,ミャンマーの一端をご紹介しましょう。 |
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(左)ヤンゴンの繁華街で明るい表情のヤンゴンの女性たち
(右)ヤンゴンの「屋外レストラン」 各所では市民がくつろいでいる姿がみられる |
ヤンゴンの雰囲気には暗い表情はなく,世間で言われているような政治色は微塵も感じられなかった。
市内のあちこちでは歩道に簡易なテーブルが置かれ,くつろいでいる市民の姿が多く見られた。 |
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(左)路上や歩道で様々なものが売られている ミャンマーは豊かな国である
(右)ミャンマーの人々にとって欠かせない”ファウンデーション”である「タナカー」 |
ヤンゴンもバンコク同様,至るところで様々なものが売られている。 「タナカー」(「タナカ」と表現することもある)は,ミャンマーの人々にとっての必需品。
白いおしろいのようなもので,男女とも顔に塗って日焼け止めとして使い,同時に化粧品(というか,顔のオシャレ?)の役割も果たしているようだ。 この「タナカー」は粉末状のモノも売られているが,
「タナカー」の木を,墨を擦るが如く石でできた硯のようなモノで擦ってできる白い液状を顔に塗るというのが基本。 産地によって評判の善し悪しがあるらしい。 右の写真の手前は「タナカー」の木を擦り下ろす硯。
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(左)路上の焼鳥屋? (右)昼食に摂ったチャーハンもどき?
(右下)一見コーラ風だったが・・・ |
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アジア各地の路上で見られる屋台風焼鳥屋。 ヤンゴンのこの店の味付けはインド風だった?
ミャンマーも基本は米文化,昼食で摂ったチャーハン(?)はちょいと薄味だった。 一緒に飲んだ清涼飲料(右下)一見”ペPシコーラ風”だったが,炭酸が入って無く,
単なる「黒色砂糖水」であった。 |
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(左)インド製の車? 日本では見たことがない車 (右)マツダの初代ボンゴ |
ミャンマーでは自動車が生産されてない〜と思ってたら,スズキが工場を持っているようです〜ので,車は 全て ほとんど「外車」。 日本では見かけない車が止まっていたので,レンズを向けてみた。
他のアジアの国と変わることなく日本車が多いが,バスやトラックも含めて多くの営業車は中古車。
中には以前使っていた日本の会社名を消すことなくそのままのものも。 彼らに言わせると,それがステータスだとも。 |
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泊まったホテルで催された結婚式のご案内(左)とハネムーンに行く車?(右) |
中華系の方々の結婚式のようで,ホテルのエレベータにも漢字とミャンマー語併記の案内が貼られていた。 ホテルの前には,ハネムーン用(?)に飾った車が。 ホテルでの結婚式は,
この国ではまだ珍しいのかもしれない。 |
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早朝のヤンゴンの風景 |
さて,ヤンゴンでの日々も残り少なくなりました。 バンコクの雑踏から離れたひととき,同じ一国の首都でも国が変われば雰囲気が大きく変わります。
一説によると,第二次世界大戦前(20世紀前半の頃)のヤンゴン(当時はラングーンと呼ばれていた)は,東南アジア最大の都市だったと言われています。 当時のミャンマー(ビルマ)はイギリスの統治下にあったので,
物資も豊かで町並みも都市計画の下に開発されていったからと推測されます。 その頃にバンコクに居た商社などの駐在員は,生活必需品などをヤンゴンまで買い出しに行っていたという情報もあるほど。 ビルマはその後,
1948年に連邦共和国として独立を果たしましたが,1962年から鎖国政策をとるようになってからは国の経済が停滞し,現在ではヤンゴン駐在の日本人がバンコクに買い物に来るようになっているとのこと。
1997〜98年にアメリカのニューヨーク州 (Clifton Park) に居た時,地元では入手困難だった米や味噌,醤油やインスタントラーメンなどを 250km ほど離れたマンハッタンまで買い出しに行ってましたので,この気持ちはよく判ります。
さて,バンコクに戻る飛行機の時間が近づき,心洗われるヤンゴンの地に別れを告げる時が迫ってきました。 そろそろ荷物を纏めて空港へ行きましょう。 |