China Report 4.11 | |||||
河南省・龍門石窟 〜慈香洞・敬善寺洞〜 | |||||
【慈香洞】 龍門石窟の中では、龍門二十品の一つ「比丘尼慈香慧政造像記」が刻されている慈香洞。 どちらかと言えばマイナーなポイントで、ガイドブックなどにもあまり紹介されていません。 この慈香洞は「比丘尼慈香慧政造像記」に『神亀3年(=西暦520年)』の記述があるとおり、龍門の中でこれまでにご紹介した 古陽洞、賓陽中洞、連花洞 などと並んで、北魏の時代に完成したものです。 場所は、賓陽三洞を右手に見ながら伊河沿いに南に500m程歩いた龍門石窟のほぼ中央部にあり、連花洞の少し手前(北側)に位置します。 余り大きくなく、どちらかと言えば地味な石窟なので、見落としがちですので、これから行かれる方は、ご注意下さい。 龍門石窟を訪れた 2003年8月時点で、十分な予習ができていなかったので、残念ながら写真がありませんが、龍門では早い時期の北魏時代の石窟として、簡単にご紹介しました。
【敬善寺洞】
上・左の敬善寺洞の案内表示によると、
紀国太妃であった韋貴妃(唐の二代皇帝:太宗李世民の妃)の功徳を称えて、唐の三代皇帝:高宗李治(在位:649〜683年)
が顕慶(656〜660年)から龍朔(661〜663年)時代に窟刻を始めた。 この石窟に入口の左右に刻されている力士の立像は、龍門の像の中でも極めて個性的な作品である。
と解説されています。 韋貴妃が紀国太妃に立てられたのは650年なので、この石窟が造成された時期はそれ以降のことです。
敬善寺洞の主尊は阿弥陀仏如来座像です。 唐時代の初期に造営されたこの石窟は、4〜6世紀にインド北部を統一したグプタ朝のアジャンター石窟などに見られるグプタ様式が見られ、
薄い衣が身体に張り付いて、肉体の起伏が露わに表現されています。
実はこの主尊の頭部は、大阪市立美術館が所蔵しています。 現在見られる主尊仏像の頭部は、1957年に復元されたものとのことです。 |
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